【ネタバレ】シン・エヴァンゲリオン劇場版:雑感
当記事はシン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレを含みます。
未見の方はブラウザバックをオススメします。
私はエヴァを中学生のときに観てしまったせいでシンジ=自分になってしまった人間で、今も今作を自身の人生と重ね合わせるのに必死な状態で物語の全容をまだ捉えきれていない感覚はあるのですが、とりあえず鑑賞直後ふせったーに書き殴ったことなどを整理して改めてここに記載しておきます。
あくまで雑感で乱文。ただし公開直後の率直な感想
・(今までエヴァを丁寧に追ってきた人にとって)とてもわかりやすい作品
登場人物の感情が丁寧に説明されており、シンジが成長して大人になる過程がとても分かりやすく描かれていたと思う。
例えば破におけるゲンドウの「大人になれ」からの今作における「大人になったな」など、序破Qで描かれた細やかな描写がセルフオマージュを通じて全て連結してエンディングに向かっている。
ただしそれらの要素はあまりに膨大なので、これまで新劇場版を何度も見返してきた人しかそれらには気づけない。
おそらくこれから新劇場版を見返すと「ここの描写が後のシンに繋がったのか!」と気づく箇所がたくさんありそう。
一方で終盤Dパートに突入してからは旧版からの要素についても多く触れられている。
「さらば、全てのエヴァンゲリオン」のコピーのとおり、旧作を含めた全てのエヴァンゲリオンにケリがついている。
ただしこれらは旧版を観たことが前提なので、新劇場版を観ただけの人はDパートの展開は意味不明になってしまう。
補完計画の発動と共にアニメーションという形式そのものが分解されていく様は、TV版や旧劇場版でお馴染ながら、もしかしたら新劇場版しか観ていない人には受け止めきれないのかもしれない。
また新劇場版を通じて振りまかれた大量の謎・伏線についても、もちろんエヴァらしく全てを説明しきることはしなかったが、数多くの解説があった。
疑問視する人も多かった設定上における旧版との繋がりも、マイナス宇宙やカヲルの存在などを通じて、うまく描かれていたように感じる。
「初号機がユイで第13号機がゲンドウ」「綾波以外のパイロットもクローン人間」「ヴンダーは方舟」など、「考察動画でみた!」となるパターンも多く、これまでエヴァを考察してきたファンの知識欲を満たしてくれるに相応しいものなのでは。
パンフレットの序文で庵野秀明は今作を「エンタメ」と称しているけれど、少なくとも今日までエヴァを追ってきた人にとっては間違いなく「エンタメ」だった。
・異常な高カロリー
「わかりやすい」一方でしかしこれを一度で受け止めることはまずできないと思う。
私は初日3回ぶんのチケットを予約していましたが、今作のあまりの高カロリーに2回しか観ることができませんでした。
まずシンジが大人になってしまう。
「エヴァ」はくり返しの物語です。
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
わずかでも前に進もうとする、意思の話です。
曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。
――我々は再び何を作ろうとしているのか
上記のエヴァンゲリオンという作品のメインテーマに決着がついてしまう。
もうそれだけでお腹いっぱいで、エヴァの呪縛で時が止まったままの私を置いて大人になってしまったシンジ君への感情で胸がいっぱいになってしまっている。
(そこらへんの感情については多数に晒すのはあまりに恥ずかしいのでTwitter経由でふせったーにフォロワー限定でアップロードした)
旧劇場版のラストにおける赤い海におけるシンジとアスカの対話、それらを含めたエヴァンゲリオン全てへの決着。
14歳でエヴァに触れ、エヴァで人格形成をしてしまった人間が、そのエヴァの完結をたった2時間35分で受け止められるはずもない。
2012年12月。エヴァ:Qの公開後、僕は壊れました。
所謂、鬱状態となりました。
6年間、自分の魂を削って再びエヴァを作っていた事への、当然の報いでした。
「エヴァンゲリオン」という映像作品は、様々な願いで作られています。
自分の正直な気分というものをフィルムに定着させたいという願い。
アニメーション映像が持っているイメージの具現化、表現の多様さ、原始的な感情に触れる、本来の面白さを一人でも多くの人に伝えたいという願い。
疲弊する閉塞感を打破したいという願い。
現実世界で生きていく心の強さを持ち続けたい、という願い。
今一度、これらの願いを具現化したいという願い。
――我々は再び何を作ろうとしているのか
庵野秀明のスキがこれでもかと詰め込まれたフィルム。
庵野秀明の正直な気分をナマで浴びて、もう動けそうにないのですが、とりあえず以下に各シーンから感じた感情を羅列していきます。
・大人になったトウジやケンスケ
これはかなり待ち望んでいた展開だったので、思わずホロリときてしまった。
というのも『:Q』でシンジがヴィレクルーにボコボコにされてる中、きっとトウジやケンスケだったらこうはならないんだろうなと私は感じていた。
トウジはエヴァに乗って妹を傷つけたシンジに怒り、けれどシンジが一生懸命戦っている姿をエントリープラグの中で見届けた。そんなトウジとそしてケンスケなら、きっと『:Q』を観たときにファンが感じた「シンジだって頑張ってたのにひどい」という感情を引き受けてくれるんじゃないか。もしかしたら『シン・』でそうなってくれるんじゃないか。まさかそれが本当に実現してしまうなんて。
トウジと委員長が家庭を持つのは予想の範囲内ながら、ケンスケの成長具合には驚いた。
トウジと違って自らが支えるべき家庭を持たず、ミサトと違って集団の長としての責任も負っていないケンスケ。そんな彼だからこそ、臨機応変に相手との距離感を測り、シンジやアスカと接することができた。
シンジのメンタルケアだけでなく、ミサトさんの想いを代弁したり父親と向き合うことを示唆したりと、碇シンジの物語を決着に導くために必要なことを全部ケンスケが行っている。
エヴァ最速RTAがあったらまずはバグ技でケンスケの時間を14年進めるところから始まると思う。
・黒波
予告編から黒波に感情が芽生えることはわかっていたし、そんな黒波がシンジの立ち直るきっかけになるんじゃないかとは思っていたけれど、まさかあんな形で死んでしまうなんて……。
『:Q』でシンジが徒労に終わったと思っていた黒波へのコミュニケーション。それがシンで黒波が成長することによって巡り巡ってシンジを救ってくれる……このドラマが美しすぎて泣いてしまった。
14年後ということも、黒波が綾波ではなかったということも、『:Q』では絶望の一要素として存在していたものが、今作では一転してシンジに与えられる希望となっている。
・ペンペン
出番あってよかったね。。。
・シンジの覚悟
新劇場版シリーズ全体において「シンジは子供なのに周りの大人が色々と酷すぎる」という意見は多かったように感じるが、碇シンジの物語に決着をつけるとしたら今作のように「子供だから」ではなく、自らの意志で自らの行動に落とし前をつけるという形しかなかった。
誰も自らを救ってはくれない。正確には、救ってくれる人はたくさんいるけれど、「救ってよ」と縋るときに都合の良い救いはやって来ない。それは都合の良い只の夢で、辛くても、苦しくても、自らの意志で前に進むしかない。
『:破』におけるゲンドウの「大人になれ」が今作で「大人になったな」となったように、エヴァの大人はシンジに大人であることを求めてくる。
『:破』の時点では「そう簡単には大人になれないだろ……」と思ったものだが、少なくとも今作においてシンジはそれを成し遂げた。成長したのだ。
・加持さん
海洋研究機構での描写とスイカ畑の描写から「人間という種よりも補完計画の巻き添えになる他の生態系のことを憂いていた」という設定に繋げてくるのには驚いた。
今作でマリの非人間性が浮き彫りとなって、そんなマリと関わりを持っていた加持は、旧シリーズよりずっと真実に近い位置に立つ人物だった。
何ならカヲルと関係があって、カヲルが上司だったってそんなことある?????
初見では伏線ゼロの唐突設定かと思ったが、『:Q』ではアイキャッチ直後に加持さんの畑跡でカヲルが意味深に立ち尽くすカットがある。
いやでもそこから加持とカヲルの関係性を予想できた人いる?????
「リョウちゃん」とか「カヲルって呼んで」とか、『シン・』では思わぬくっつき方をしたCPが多いけれどまさか加持とカヲルで関係性を妄想できる日が来るとは。。。
『:破』における加持からシンジへの「愛に性別は関係ないさ」すら伏線な気がしてきてしまう。
・庵野遊園地
しっとりとした雰囲気をゆっくりと描くAパートから、最終決戦が始まると庵野秀明のスキがこれでもかと詰め込まれた展開になる。
Aパートで最高の出汁で作られたあっさりラーメンを食べたらその直後、味に足し算しかしていない全部盛りの超こってりラーメンが出てきたような。
勢いのある映像と共に怒涛のスピードで語られる葛城博士の提唱した人類補完計画、ネブカドネザルの鍵、希望の槍カシウスと絶望の槍ロンギヌス、ガフの扉の向こうに存在するマイナス宇宙といった大量の設定用語。
「惑星大戦争」が流れ始め、新2号機と改8号機がとんでもギミックな武器やA.T.フィールドを展開してとんでもエヴァ相手に無双し、新2号機が『:破』から続くビーストモードの極地を見せつけ、シンクロ率は400%どころか「限りなくゼロに近い……つまり無限大!」、特撮セットでの初号機VS第13号機、そして旧版と同じく補完計画と共にアニメーションの手法が崩れていく光景。
過去作を何度も見返して見識を深めたつもりでも初見では飲み込むのが精一杯だったあの圧倒的物量。
あの情報のジェットコースターに名前を付けるとしたら「庵野遊園地」なのかなと思う。
・シンジとミサトの関係性
今作で一番グッと来たのがシンジとミサトの関係性だった。
『:Q』でミサトがシンジのDSSチョーカーを起動できなかったシーンでホロリと涙を流した過去があるので、ミサトのシンジに対する感情が顕になり、そしてシンジも自らの罪を受け止めてミサトが背負う罪を半分背負うと口にしたシーンはもう感無量。
ミサトは旧版において大人になりきれない大人、アダルトチルドレンといった方向性を背負ったキャラクターだった。
そこにいる29歳の女性は、他人との接触を可能な限り軽くしています。
表面的なつきあいの中に逃げることで、自分を守って来ています。
――我々は何を作ろうとしているのか?
守られるべき子供であるシンジと、守るべき大人であるミサト。この構図は旧版・新劇場版においても貫き通すことはできず、シンジとミサトはどこまでも他人であり、ミサトはゲンドウの代わりとしての親や保護者のポジションに収まることはできなかった。
そんなシンジとミサトの関係性に今作はとても綺麗な決着がついたと思う。
ミサトはシンジ以外の我が子の母となった。ミサトはシンジ以外の親になった(ただしそれは葛城博士の呪縛を受け継いだ、ゲンドウと同じく子供と接することに臆病な、決して良い親の姿ではないが)。
ミサトはシンジの親代わりにはなれないが、しかし今作においてシンジはミサトに追いついて大人となった。
ミサトとシンジは大人と子供ではなく、共に罪を背負い歩む、相棒のような関係となれた。
そしてミサトは最後の最後に子供へ未来を託す大人としての使命を果たし切ることができた。
『:破』における「最初は死んだ父に少しでも近づきたくてネルフに志願しただけなの。あなたが碇司令に必要とされたくてエヴァに乗ったのと同じように。だから私はあなたに自分の想いを重ねてしまった」という台詞のとおり、自らが想いを重ねていたシンジが自らと同じ場所に来てくれたこと。それをリツコが「嬉しいんでしょ」と指摘していたこと。
そこにいる少年は、他人との接触を怖がっています。
〜そこにいる29歳の女性は、他人との接触を可能な限り軽くしています。
〜二人とも、いわゆる、物語の主人公としては積極さに欠け、不適当だと思われます。
だがあえて彼らを主人公としました。
――我々は何を作ろうとしているのか?
TV版の初期にあったシンジ・ミサトのW主人公の雰囲気が、エヴァの完結を告げる今作において正しく形になったように思える。
「生きていくことは、変化していくことだ」と云われます。
私はこの物語が終局を迎えた時、世界も、彼らも、変わっていて欲しい、という願いを込めて、この作品を始めました。
――我々は何を作ろうとしているのか?
TV版スタート時において書かれたこの文章が、今になって振り返ると、今作における世界や登場人物の変化・成長の在り方と非常に近い位置にあるような気がしてならない。
・ゲンドウ
旧劇場版における補完がシンジではなくゲンドウに与えられたことで、親子関係をテーマとした作品として、今までのどのシリーズよりも吐露されるゲンドウの心情。
ゲンドウが抱く他人への恐怖。シンジと同じようにSDATが外界と自身を遮断してくれたこと。
今作で『Beautiful World』にシンジだけでなくゲンドウの曲としての意味合いが付与されたこと。
エヴァは王道な親子の対立から始まる物語だが、旧版では父親という要素は徐々に小さくなっていき、最終的にはシンジとシンジ以外の他者という構図になっていった。
鶴巻 だから庵野さんは 〝父親と子供の葛藤 〟っていうモチ ーフを延々と繰り返してるのに 、 (そう意図して )作っているにも関わらず 、結局 、全部ダメになっていく 。テ ーマとして描き切れない 。 『ナディア 』もそうだったんですけど 。
旧劇場版における「すまなかったな、シンジ」という独白が、目の前に立つシンジに向けることができた瞬間、ユイがそこにいたことに気づけたゲンドウ……様々なエヴァ過去作の要素を拾って回収してくる今作の中でも、この回収の仕方は特に鳥肌ものだった。
・アスカ
ぬいぐるみの被り物を脱いだところにケンスケがいたときには流石にビビり散らした。
まさか新劇場版でTV版のストーリーを圧縮するが故の煽りを受けて出番が減少していたケンスケが、あの全スタッフに名前を「アイハラ君」と間違えられたまま全国劇場公開されてしまったケンスケが、あそこまでの大出世をするとは。。。
旧劇場版ラストシーンにおいて、かつての想いを語り合い、そして恋を終わらせるアスカとシンジ。
旧劇場版においてシンジと対になる究極の他人として描かれたアスカの「気持ち悪い」という台詞が、現実における24年の時を経て、切なく散った恋として回収されるのはかなりの美しさがあった。。。
カヲルやアスカ、レイとシンジが対話していく光景は、TV版の補完計画に近いそれだったように感じた。
・カップリング
ケンスケとアスカは前述、シンジとマリは後述として、既存CPで一番強かったのはカヲシンかなと思う。
TV版まで含めてふたりの関係性を描いたのは強い。カヲルがゲンドウに似ていたとか、掘り下げられそうな要素もたくさん。
まさか加持が対抗CPに名乗りを上げるとは想像できなかったけれど。。。
マリアスもマリが何だかんだ全性愛というか人類愛を抱えているお陰で強い関係性があった。
特にアスカがピンチの時つい名前呼びしてしまうのは完全にプリキュアのそれだった。
おそらくあれにはプリキュアより適切な例えが他にありそうな気がするのだけれど、女児アニメのオタクにはプリキュア以上の発想が初見で浮かぶはずもなく。。。
・巨大綾波
特報3で綾波ぽい人物の赤い顔が映ったとききっと誰もが「いつもの巨大綾波か」でスルーしたと思うのですけど、まさか今作の巨大綾波は3Dマジ?
セル画時代の旧版になかったデジタル撮影やら3DCGやら色々な新技術が盛り込まれた新劇場版が、まさか巨大綾波まで3Dにしてしまうとは。。。
もし公開から数週後『:Q』のようにネタバレ込の予告が出るなら「今度の巨大綾波は……3Dだ!」みたいな煽りがいいと思う。貞子3Dみたいな売り方でさ。
・エヴァ8+9+10+11+12号機
いや『:Q』公開当時の予告で「これ絶対本編出ないじゃん」と誰もが思ったろうエヴァ8+2号機をこういう形で拾ってくるってマジ?????
3D巨大綾波もだけれど、こういう文脈に気づいた瞬間思わずクスリとなってしまうファンサービスが面白すぎる。
・Mark.06
結局まともな出番がなかったし、カヲル専用機というアイデンティティすら今作でシンジが第13号機を「カヲル君のエヴァ」と呼ぶことで剥奪されてしまった。
本当にかわいそう(イジリ甲斐があって好き)
・マリ
「最後にシンジとくっつくのがマリだからマリ=モヨコ!」というのはちょっと短絡的すぎる気はしている。
たしかにエヴァは(特に今作は)色濃く庵野秀明の感情や意志を反映していたフィルムであることは間違いない。
けれど直接会話したこともない人間の思考を一方的にトレースするのは失礼とか以前に、まず絶対に不可能だと思うんですよね。
もちろんエヴァを語るにおいて庵野秀明は避けて通れないので.私はそれがどんなに無意味であっても仮定の“庵野”をそこに置いてある程度のメタ読みをせざるを得ないのですけど。。。
鶴巻 〜「マリのキャラを説明してください」って頼むと、庵野さんはかなり抽象的でテーマ的な話をするんです。〜それは「マリを登場させることによってエヴァの世界を破壊するということです」〜彼女のテーマが「エヴァの物語の破壊」だとしても、具体的にはいろんなことが考えられます。極端に言えばシンジを寝取ってしまうことで、それまでのキャラクターの関係性を壊してしまうのか、ハチャメチャなギャグキャラとしてシリアスな世界観をぶち壊すってことなのか。
――『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』パンフレット
ただし上記のように少なくともエヴァを破壊する登場人物としてマリに与えられた最終的な役割が「他のどの登場人物との関係性も吹き飛ばしてシンジとくっつくこと」になったのはほぼ間違いないと思ってます。
漫画版にてマリはユイに想いを寄せている描写があった。これがゲンドウの回想にあった冬月・ゲンドウ・ユイ・マリの過去描写に繋がるのだが、まさか好きだった女の息子とくっつくとは。。。
かつての同期に息子を奪われたゲンドウ君はどんな顔をすればいいんだ。
・摩砂雪
公開前のスタッフ一覧に存在しなかった摩砂雪さんだったけれど、まさか担当パートそのものがシークレットの役職だったなんて。。。
旧劇場版のビジュアルウォーターアーティストみたいに今回も長いカタカナなお役職ですね。
・今作たったひとつだけ気に入らなかったこと
新海に続いて庵野まで神木の魅力に堕とされてしまったこと。