アイカツフレンズ!第11話を観てほしい ~あの《恋愛》に百合という文化から向き合う~
はい、まずは何も考えずに下記のリンクから動画を観てみましょう。
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2018.06.25追記
最新話の無料配信期間が過ぎてしまいました……。良い子のお友達は別の動画配信サービスに課金して有料で観てね
観ましたでしょうか?
アイカツというコンテンツを全く知らない。女児向けアニメとかよくわからない。今までのシリーズは観てきたけれど今作は観ていない。途中までは観ているから追いついたら観たい――そういうことは何も考えず、今この瞬間にこれを観てください。
観たのなら私から伝えたいことは以上です。この記事を読んでくださってありがとうございました。
――とはいっても「たとえ25分でも動画を観るのに時間を使うのはもったいないなぁ〜」とか「観たけど……その……これなに?」という方もいらっしゃるでしょう。
というよりも、そもそもどうしてこの作品のこの回を執拗に勧めようとしているのか?
いや凄いんです。アイカツフレンズ! 第11話「告白はドラマチック!」は本当に凄まじいのです。
アイカツというコンテンツを今日まで追いかけてきた方はこの回に色々なものを感じたでしょう。しかしそういうことを抜きにして、この回はアイカツだとか女児アニメだとかそういう文化を一切知らない人が突然観ても、否、突然観るからこそ、凄まじい衝撃を受けるお話だと私は思っています。
特に《百合》という文化に少なからず思うところがあるそこのアナタ。まずはこの第11話を観てください。そして打ちのめされてください。
このご時世、少なくとも過去の飢餓時代と比べれば、百合作品というものは遥かに増えました。百合が飽和するこの時代「百合好きならこの作品は絶対チェックしとけよな!」といった言説はおそらく正しくはないのでしょう(もちろん古典的名作となると話は別になるのかもしれませんが)。
アニメーションという媒体ですら、現在ではメディアミックスの一線に立つコンテンツではないのかもしれません。人気のある漫画やライトノベルがアニメ化し、書店に並ぶ本の帯に「アニメ化」という言葉を付けてコンテンツの“箔”とする――そんなこれまでの手法を塗り替える様々なコンテンツがこの10年代には続々と誕生しました。
『魔法少女まどか☆マギカ』といった原作を持たないオリジナルアニメーションの復権から始まった10年代、この2018年においては最早アニメや漫画といった一本筋の物語ですらも創作表現の一種でしかなくなり、ソシャゲやVtuberといったこの時代だからこその最新コンテンツが世に溢れています。
その流れは百合という文化においても例外ではないでしょう。
ソシャゲでは『バンドリ!ガールズバンドパーティ!』が最近注目されているでしょうか。キャラクターが多彩な関係性を織りなす物語が、公式から効率的かつ継続的に供給され、そんな中でファンはカップリングを作り放題。一本筋の物語であるアニメや漫画では届かないかゆいところに手が行き届いています。
Vtuberなどはいわゆるnmmnに近い要素があるという意味で扱いがシビアな部分もありますが、VR技術によってリアルタイムで生身の関係性が更新され続けるライブ感は新時代のコンテンツの楽しみ方でしょう。
そういったコンテンツが瞬間の時流を捉え継続的かつ従来のコンテンツではあり得なかったスピードでエンターテイメントを提供し続けるこの時代、週1回の放送のみであるTVアニメーションは時代遅れと表現してもあながち間違いではないのかもしれません。もちろん漫画などでは『やがて君になる』のアニメ化などでも盛り上がっていますが、それらを含めても、もしかしたら人によっては「わざわざ女児向けアニメに拘る意味がわからない」と考える方もいらっしゃるかもしれません。
しかしそういった時代の中において尚、アイカツフレンズ!第11話という物語は最新のコンテンツに決して劣っていない。むしろ新時代の風を吹き込むほどの輝きを放っている――私はそう感じました。
というわけで今回は、アイカツフレンズ!第11話『告白はドラマチック!』がもたらした衝撃を、アニメ系コンテンツ、百合、そしてアイカツそのものなどといった視点から掘り下げて語っていこうと思います。
当然ですが本記事には今まで述べた通り《百合》という文化についての言及が非常に多く存在します。「そんな文化がこの世に存在することが許せない!!!!!」といった感情をわずかでも抱いている方は今すぐブラウザを閉じてスマホやPCの電源を落とし、人生のムダ使いをせず何か他の楽しいことを考えて生きてください。
《百合》と《恋愛》の定義差を踏まえた上での11話
ここから先は皆さんがアイカツフレンズ!第11話を観ている前提で話を進めますのでご了承ください。
早速ですがこの第11話、完全に恋愛です。
「これ、恋愛か?」という描写があったのはこの11話に限らず前回の10話もだったり、というかこれまでのアイカツ!というコンテンツがそうだったりもするのですが、それらについては次項以降で語るとして、この項ではとりあえず11話だけに話を絞りましょう。
とりあえず第11話において《恋愛》を感じさせた要素を箇条書きで挙げていきましょう。
- アバンにおける(前回を前提とした)ハニーキャットの圧倒的な浮かれ感
- それらに対して「いいなぁ」と憧憬を抱く友希あいね
- スマホに映したあいねの写真で告白の練習をする湊みお
- ラブミーティアの圧倒的ドラマチックな告白劇
- そんなドラマチックな告白を夢見る乙女なみお。その表情、仕草
- 「ココちゃん、ドラマチックな告白について教えて」
ここで一旦「恋愛じゃなくてフレンズ」という前置きを入れた上での、
- なこの「大切な話」を察して休日の予定を譲るみお
- 夕陽を眺めるあいねとなこの雰囲気に「これってフレンズ結成の流れにしか見えないんだけど……」と焦るみお←基底現実を生きる我々において「フレンズ」という架空の概念が結成される雰囲気というものは理解できるはずもなく、現実においてあの雰囲気を例えると恋愛の告白前でしかない
- 夜の赤レンガ倉庫
- 「ゴンドラが一番高くなったところで告白すると、ふたりはず〜っと幸せになれるんだって!」というココちゃんのサジェスト(恋愛じゃないって言ったよね?聞いてた?きちんと聞いた上でサジェストしたの?)
- ↑の情報に付随して表示される幸せそうなカップルの画像
- 結ばれるフレンズはふたり一組だけという事実に身を引こうとするみお
- あいねを奪い去ったみおがなこに向けた一瞥のあまりの《女》らしさ
- 観覧車で告白♡
- 「仕事が終わったからこれから会おう」
- 遠距離フレンズというあまりにそのまんまな名称
面白いのが「恋愛じゃなくてフレンズ」という前置きを入れてから「どうみても恋愛やないか〜い笑」とツッコミを入れたいくらい怒涛の《恋愛》が入り込んでくることですね。
構造としてはいわば『マリア様がみてる』に代表される《姉妹制度》に似た疑似恋愛でしょうか。
恋愛という明言をせずある程度の曖昧さと寛容さを持ちながら少女同士の関係を描く手法は《姉妹》と《フレンズ》で非常に似通っています。
ただ今回11話で描かれた描写は「少女同士の友達以上恋愛未満の密やかな〜」といった範疇からは明らかに逸脱しており、そういう意味でこの11話が女児向けアニメとしては異例の表現に挑んだ感触はあります。
まぁなんというか無配慮で軽率な感想を言えば「百合じゃ〜〜〜〜ん」って感じですが、しかしこの回は百合とはいってもこのご時世に数多存在する百合と称されるコンテンツの中で一際輝きを放っていました。
ここでまず前提としておきたいのは《百合》と《恋愛》の間にある定義の差です。
百合は女性同士で恋愛は性別を問わず〜といったことももちろんなのですが、それ以上にはっきりさせておきたいのは「百合は恋愛でなくてもよい」ということです。
百合の定義はいわゆる荒れる話題として触れることが禁忌とされた時期もあったでしょうが、今さらそんなことを気にする必要もないでしょう。
はっきりと宣言します。
百合とは少なくともこの記事内においては「女性と女性の間に発生するありとあらゆる関係性すべて」を指します。
「百合というよりはレズ」「百合は精神的でレズは肉体的」といった過去の言論はこの場においてはすべて排除しておきます。
- ある女性がある女性に恋をした←百合
- バリキャリOLが新入社員の女の子のふとした仕草にムラっときた←百合
- ある女の子が親友が他の子と仲良くすることに嫉妬する←百合
- AちゃんとBちゃんは大の仲良し←百合
- ある女性と女性がおぞましいほどの憎悪を互いに向けあっている←百合
- 女性同士で殴り合う←百合
- おばあちゃんふたりが縁側でおしゃべりしている←百合
- 道端で女性ふたりがすれ違う←百合
わりとこの考えは現状比較的マジョリティだとは思うのですが、この考え方について解釈を示しておくとキリがないので『ユリイカ 2014年12月号 特集=百合文化の現在』に掲載された天野しゅにんた先生へのインタビューにおける以下の引用を以てとりあえずの説明としておきます。
(百合とはどんなものかという質問に対して)
基本は「女子が二人いたら百合」でいいんじゃないですか。私は本当になんでも「百合じゃん!」と食いつくタイプで、それこそ女子が二人いれば百合だと思います。
(百合とレズの違いについて)
私が今まで聞いた中で一番納得した説明は、森島明子先生がおっしゃっていたものですね。「レズは一人でいてもレズ。百合は二人いるのを外部から見て決めるもの。本人たちがどう思っているかはともかく、外部から見てはじめて百合は百合になる」という。
この回答、とても万能ですよね。百合について語るときは自動的にこれらのメッセージが前置きについてほしいと思っています。
この前提の上で《百合》と《恋愛》の定義の違いを語るとすれば、つまりこういうことになるでしょう。
- 《百合》は女性同士の《恋愛》を含み、かつそれより広範な領域を指す
- 百合 ∋ 女性同士の恋愛
以上を前提とするとアイカツフレンズ!11話において描かれた《恋愛》の凄まじさが見えてくると思います。
この世に百合と称されるコンテンツは星の数ほどあり、《百合》が女性間に発生するありとあらゆる感情を指す以上、女の子同士の関わり合いが描かれる女児向けアニメに百合を見出すことは当然であり、そういう意味ではこの世すべての女児向けアニメは百合であると言ってしまうことも可能でしょう。
しかしここまで真摯に女子同士の《恋愛》を描いた作品が一体この世にいくつあるでしょうか?
もちろんあるにはあるでしょう。というか本格的に百合作品として描かれている百合漫画を読めば女子同士の恋愛を描いた作品だなんて星の数ほどあります。
しかし大切なのはクオリティなのです。もちろん数多ある百合作品の質が劣悪だと言っているわけではありません。それでもアニメーションという表現形式は漫画や小説とは比較にならない人数での集団作業によって制作されるコンテンツであり、規模の大きい連携の末に生み出された芸術作品としての特別性といったものは間違いなく存在するはずです。
1年以上にかけて毎週一定以上のクオリティで少女同士の親密な関係性が《恋愛》のニュアンスを含めて長期的かつ丁寧に描かれるひとつの物語
そういった作品はこの時代においても極めて少数でしょう。
「たくさんの女の子が登場してカップリング作り放題!」とか「妄想の余地が多くて二次創作が捗る!」とか、そういう次元を超えた少女同士の一対一な深い関係を『アイカツフレンズ!』は描こうとしています。
大切なのは「作品」であり「物語」であることです。これはやはりソシャゲや他のリアルタイム系コンテンツには持ちえない漫画小説アニメといった媒体独自の魅力だと私は思っています。
消費され消えていくコンテンツではなく、時代が過ぎても一定の普遍性を以てして受容され得る――歴史に残り得る――そんなコンテンツとしての素質が漫画小説アニメにはあり、そしてアイカツは間違いなく歴史に残り得るコンテンツなのです。
女児向けアニメでしか成し得ないこと
歴史に残り得るコンテンツ――とは言いますが、そこに「ファンとしての贔屓目線があるのでは?」と問われればそれを否定することはできないでしょう。
しかしそもそもとして女児向けアニメは10年以上先まで通用するように制作された作品であると私は考えています。
女児向けアニメを観るのは子供です。メインターゲットは子供です。しかし子供が観る作品というのは得てして視聴者であった子供が大人になったときに改めてその作品のメッセージが活きるように制作されています。
もちろん子供向け作品というのは子供だけでなくその親御さんに向けた作品でもあります。子供が「このアニメのおもちゃが欲しい!」と言っても財布の紐を開くのは親なわけですから、親が子供の教育に相応しいと思うような愛と正義を語ることは子供向け作品の宿命かもしれません。
しかしそれとは別のベクトルでも子供向け作品――女児向けアニメは多くの描写に挑戦してきたと思います。
最近で言えば『HUGっと!プリキュア』や『プリパラ』などで描かれたジェンダーレスの要素でしょうか。
詳細はこの記事で取り扱うには趣旨と外れすぎているので控えますが、これらの作品で描かれたある要素はとても挑戦的であり、子供の親も人によってはあの内容を素直に受け止められないかもしれないようにも感じました。
しかしあれらの要素はこれからの社会において間違いなく大切なことであり、そんな要素をこれからの未来に生きる子供たちに対して(たとえ今は理解できなくてもいつか伝わってほしいという希望をこめて)メッセージにしたという事実はとても重いことでしょう。
数多くのアニメ作品がメディアミックスやドル箱として消費されていくこのご時世、10年以上先まで通用するような真摯さを以て制作されたアニメーションがいくつあるでしょうか?
しかし子供向け作品は――女児向けアニメは間違いなく未来を見据えて制作されているのです。今の視聴者が大人になったとき、そして老若男女を問わず観た人に何らかの影響を与えられるように――そんな強烈なメッセージが作品にはこめられています。
アイカツにこめられたメッセージについて語るのはまた別の機会にしたいと思いますが(気になるならシリーズ計289話を観よう)、女児向けアニメがそこまでの可能性を秘めたコンテンツであるということは理解できたと思います。
そして話題が逸れましたが、もちろん《百合》においても女児向けアニメは他の百合作品が成し得ないナンバーワンの立ち位置を保っています。
古典を辿ればセーラームーンやカードキャプターさくらなどもそうでしょう。女子同士の《恋愛》を含めた親密な関係性は『アイカツフレンズ!』以前にも多くの作品が描いてきました。
ここまで深く《百合》と表記して差し支えないレベルの描写を多くのスタッフが手がけた大規模コンテンツとして成立させているのは女児向けアニメ以外に存在しないのです。
具体的な女子同士の親密な関係性について語るとキリがないので、ここでは一点に絞りますが、例えば「バディ物」としての要素などがそうでしょうか。
この世に数あるバディ物というジャンルの作品。男性同士や男女同士のバディは数多く存在しますが、女性同士となると途端に数が少なくなります。
もちろん探せばないことはないですし、素晴らしい作品はたくさんあるのですが、女児向けアニメの凄まじいところは「口を開けているだけで勝手に濃厚な女性バディ物が大量に喉に流し込まれていく」というところでしょう。
何も難しいことはしなくていいのです。週一の番組を録画して仕事や学校終わりに観たり、日曜朝にちょっぴり早起きするだけでいいのです。
百合のオタクは日曜朝に早起きするだけでQOLが10000000000000000倍になります。
あそこまで濃厚に女性同士の関係を真摯に1年以上掛けて描いてくれるアニメーション作品は女児向けアニメしかないのです。
そしてその中で『アイカツフレンズ!』という作品は言い逃れができないレベルで《恋愛》という分野に足を突っ込んでそれを描いてくれているのです。
あいねを奪い去ったみおがなこに向けたあの表情を思い出してください。
あんな表情を描いたアニメーションが百合というジャンルでいくつ見られるでしょうか?????
だから何はともあれアイカツフレンズ!第11話を観た方は次回以降も是非アイカツフレンズ!を観てください。
テレビ東京系列にて木曜18:25〜
BSジャパンでは月曜17:00〜
ネットでは最新話が月曜18:00より1週間限定無料で配信されます。
第1話は無料配信されていますが最新話までの途中の話数は各種配信サイトで単話ずつの有料購入が必要になってしまいます。今のところ月額課金などによる見放題などに含まれていないのですが、長期休暇の時期に全話無料配信が行われたりするのでそのタイミングに観るのもいいかもしれません。
少なくとも今回の11話で《可能性》を感じた方ならこれまでの話を観られていなくても次回から定期的に観ていただけると思います。これまでの話を観ていなくても問題ありません。11話の告白シーンにこれまでの話を観ていなくても衝撃を受けることができた方なら絶対に楽しむことができるはずです。
アイカツの歴史から振り返る11話
ここからは少し趣を変えて、これまでのアイカツシリーズ全289話を踏まえた上でのフレンズ11話を振り返ってみましょう。
そもそもとして、どうして今回11話はこんなにも露骨な《恋愛》になってしまったのでしょうか?
これまでのアイカツにおいては女性同士だけでなく男女間の絆も描かれてきましたが、こんなにも露骨に《恋愛》を描いたのは今回が初めてでしょう。
しかし振り返ってみると登場人物間の関係性を描写するときに恋愛をモチーフとした描写がされたシーンはいくつか存在したように思われます。
例えば無印79話「Yes!ベストパートナー」における霧矢あおいさんの「誰と誰が結婚すれば相性ぴったり――なんてルールがないように、アイドルのメンバー選びにもルールはない!」という言葉でパートナー選びの合同パーティが始まったシーン(合コンかよ)などがそうでしょうか。
他にも直接的なので言えば59話「ちょこっと解決☆チョコポップ探偵」における例の「これは恋?」のシーンもそうですね。
劇場版アイカツスターズ!もゆめとローラの喧嘩からの仲直りの流れは11話における「ドラマチックな告白」のセルフパロディとして取り上げられていましたし、非常にドラマチックな展開でした。
フレンズ11話と同じ大知慶一郎さんが脚本を務めた無印130話「ユニットの魔法」においてもスミレが凛をユニットに誘ったのに対してひなきが「う〜ん公開プロポーズとは大胆ですな〜」と例えるシーンがありました。
アイカツ!とはトップアイドルに憧れた主人公たちが夢を追いかけて、その中で様々な仲間たちと出会い、共に切磋琢磨しアイドルとして人間として成長していく物語です。
その中で育まれる登場人物同士の絆は深く親密なもので、それを二次創作などで膨らませていくと恋愛という形に辿り着くこともあるでしょう。
特に例として述べたとおりアイドルユニットは仲間との切磋琢磨によって成長する描写の頂点に立つようなものであり、親密な関係を突き詰めていくとやはり視聴者に恋愛を感じさせる描写や恋愛をモチーフとした示唆などが出てくるのかもしれません。
そういった点を踏まえるとアイカツフレンズ!第11話で描かれた「フレンズ≒恋愛」という図式は必然だったのでしょう。
10話においてもハニーキャットの結成に至るまでにおける、共通の友達に「ふたりは付き合ってないの?」と言われてお互いを意識してギクシャクしちゃう雰囲気もすごかったですし(というかラジオで中の人がまさしくそう仰ってましたね)、11話に限らずアイカツフレンズ全体に一貫して恋愛をモチーフとした描写が使われていることは間違いありません。
アイカツ!無印からアイカツスターズ!、そしてアイカツフレンズ!へ。
シリーズが切り替わるに従ってそれぞれの作品・クールごとの特色というものが現出し、シリーズが続く中で様々な「アイカツらしさ」というものが付与されてきました。
フレンズは無印とスターズから様々な要素を抜き出す中で、フレンズ独自の要素として新たに押し出してきたのがフレンズというシステム――そしてフレンズ結成に伴う《恋愛》としての強烈な描写なのではないかと私は今のところ考えています。
アイカツの物語文法として人間関係を色濃く描いた果てにあるものがある種のプラトニックな恋愛っぽさなのだとしたら、フレンズのテーマが《友達》であるとおり、人と人との関わり合いに重点を置くのかもしれません。
例えば6話などではあいねが他の子とすぐ仲良くする姿にみおが嫉妬する姿が描かれました。あいねは目指せ友達100万人を豪語するだけあって誰とでもすぐ仲良くなれます。しかしみおがあいねと仲良くしていたのはとても珍しいことであり、あいねと出会うまでみおは孤高で近寄りがたい人でした。
そういった描写などは今までのアイカツではなかなか無いことです。基本的にみんな仲良くでやってきたこれまでのシリーズと違い、フレンズでは一時的な喧嘩とは別の次元で「私はこういうタイプじゃないからみんなと仲良くできない」「あなたと私の相性が合わない」といった人間関係の難しさが描かれています。
10話のエマと舞花の相性の悪さもそうですが、6話においてみおがあいねといっしょになれないと寂しそうな表情をしてエマに察せられたりしているところなどはかなり生々しい人間関係でしょう。
そういう生々しい人間関係をアイカツという世界観に落とし込んだ際、不必要に重く陰鬱にならないようにデフォルメしようとしたとき、《恋愛》というモチーフはとても扱いやすかったのではないでしょうか。
11話におけるあいねを奪い去ったみおがなこに向けたあの表情も《恋愛》という修飾がなければあまりにも傲慢で主人公らしからぬ行動として捉えられていた可能性もあったでしょう。
《恋愛》なら誰が誰を好きになってもおかしくないし、同時に誰が誰とくっつけなくても仕方ない。古今東西、ありとあらゆる人間関係において恋愛は特に人の興味を惹きつけて夢中にさせます。
《恋愛》が持つある種の型に嵌まった属性をアイカツフレンズ!第11話は非常にうまく利用したように思います。
正直なところ同性間で恋愛を連想させる描写をするとこのご時世色々と厄介なことになったりもするのだと思いますが、そこを「恋愛ではなくフレンズ」と劇中ではっきり説明しているところがまたずる賢いなと思います。
仮にどんなクレームが来てもすべて「恋愛ではなくフレンズ」で回避できますし、しかし実際のところ「恋愛ではなくフレンズ」という前提を最初に置くことで視聴者の頭の片隅に《恋愛》というワードが植えつけられて嫌でも意識せざるを得なくなります。
ここまで周到な前置きの上で繰り広げられた今回の物語には舌を巻くしかありません。
もちろん、これらは現在までの描写からの予想に過ぎないわけですが、百合という文化からだけでなく、アイカツという5年以上続いているコンテンツの歴史から振り返っても今回の11話は衝撃的な回だったのではないでしょうか。
無印の頃から百合――恋愛という要素をアイカツに見出し傾倒していた私としてはこのアイカツフレンズ!の現在の方向性にただただ感謝することしかできません。
まとまりのない結末ですが、以上でアイカツフレンズ!第11話「告白はドラマチック!」についての論を終えたいと思います。
とにかくフレンズ11話は色々な観点で凄まじい回でした。それは今までこの作品やシリーズを観ているか観ていないかにかかわらず、今回の11話やこの記事で少しでも興味を持った方は是非次回からの視聴してみてください……!