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女児向けアニメの幼馴染~アイカツスターズ!72話におけるゆめと小春の絆~

はじめに

 

漫画・アニメ・ゲームなどで描かれるフィクションを通じ、現代日本において幼馴染という単語は「幼い頃より親しくしていた友人」という原義を超えた意味合いが付与されるようになっている。

フィクションにおいて、幼馴染という立場で登場するキャラクターには一種の属性とも呼べるテンプレートが成立していると言っていいだろう。

劇中において幼馴染という役割を持つ登場人物は、昔からの主人公を知る人物として、ほかの登場人物とは一線を画した立場を成立させている。

 

2017年9月7日にテレ東系列にて放送されたTVアニメ『アイカツスターズ!』の第72話「二人の一番星☆」はそんな幼馴染同士である登場人物たちの深い絆を劇中において描写した。

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この72話はとにかく凄かった。「この幼馴染がすごい!2017」というランキングが存在したら間違いなく1位を取るくらいに凄かった。「凄い」という言葉にはあまりに具体性が無いが、あまりに強烈な作品を観たとき私はよく様々な語彙を喪失してただ「凄い」としか言えなくなることがよくある。つまりはそれくらい凄かった。

フィクションの中で描かれる幼馴染としての関係性においてここまでの描写をした作品は過去にもそうそうないのではないだろうか。少なくともこれまで私が観てきた作品……特にアニメーション、女児向けアニメにおいては初めてだ。

 

今回はこのアイカツスターズ!という作品について、劇中で描かれた幼馴染である虹野ゆめと七倉小春の関係性を軸として、幼馴染という概念を掘り下げながら語っていこうと思う。

 

この記事はある程度アイカツスターズ!を知らない方にも伝わるように心がけて記述されているものの、ところどころ私のファン根性が滲み出て読みづらく理解しづらくなっているかもしれない。またアイカツスターズ!に関連して他女児向けアニメや全作の無印アイカツ!にも触れ、広範な観点から幼馴染という概念に触れていくので、事前に了承していてほしい。

 

 

 

 

アイカツという作品が持つ物語構造

 

アイカツスターズ!はアイドルを目指す女の子たちの青春物語だ。アイドル養成学校「四ツ星学園」に通う主人公たちは、日々のレッスンやオーディションを通じて、ときに悩みながらも仲間たちと切磋琢磨して成長していく。

この特訓と成長の過程が劇中ではアイカツ……アイドル活動と呼ばれるのだ。

何故アイドルをテーマにしているのかと言えば答えは簡単。TVアニメ『アイカツスターズ!』はデータカードダスアイカツスターズ!』と連動した販促アニメだからだ。データカードダスはゲーム内で排出されるドレスの印刷されたカードを使ってアイドルを着飾るいわば着せ替えゲーム。

 

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データカードダスはゲーム内で排出されるドレスの印刷されたカードを使ってアイドルを着飾るいわば着せ替えゲーム。起源にオシャレ魔女 ラブandベリーを持つものだ。

あくまでTVアニメはこのデータカードダスを宣伝するためのもの……と言うと「しょせんは女児向けアニメか」と薄っぺらい作品に思えてしまうかもしれない。

ところがこの作品が面白いのは、ゲームが持つ年頃の女児への訴求力を物語中にうまく落とし込んでいる点だろう。

 

まずは以下のリンクからアニメ第1話をアバンだけでも観てみてほしい。

 

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物語の始まりとなる第1話において、主人公虹野ゆめは幼馴染で通っている小学校の同級生である七倉小春と共にアイドルユニット「S4」のライブを観に行く。そこでユニットメンバーである白鳥ひめのステージを観たゆめは、小春と共に自らの「夢」を叫ぶ。

 

「S4になりた~い!」

 

S4とはユニット名であると同時に、アイドル養成学校「四ツ星学園」に所属する4人のトップアイドルが持つ称号。代々受け継がれるその称号はアイドルに夢見る女の子の憧れであり、四ツ星学園に所属するアイドルは自らを切磋琢磨する中でそのS4を目指すのだ。

S4という夢の頂点を目指してゆめと小春は四ツ星学園への願書を提出し、そして四ツ星学園に入学することになる……というのが第1話のあらすじになる。

 

アイカツとは本質的に「憧れ」の物語となっている。

アイカツスターズの前作である無印アイカツにおいては神崎美月というキャラクターが背負っていた憧れの対象という役割。それがアイカツスターズにおいてはS4という4人のキャラクターに分散されている。これはゲーム中の属性がキュート・クール・ポップ・セクシーに分かれている都合なのだが、とにかく大切なのはこの「素敵な年上のお姉さんに憧れて自らもそうなりたいと願う」という物語構造だ。

 

データカードダスにおいてプレイヤーである女児は自らの分身たるマイキャラもしくはアニメ内のプレイアブルキャラクターを自らが所有するアイカツカード(ドレス)で着飾る。その行為は幼い子が持つごっこ遊びや変身欲求を満たすものであり、変身ヒロイン物であるプリキュアより対象年齢が高めに設定されているアイカツの場合は「変身アイテムによる変身」ではなく「アイドルである自身がドレスで着飾る」という形でリアリティラインを高めているのだ。

ごっこ遊びや変身欲求を一歩推し進めた「おしゃれがしたい」「なりたい私になりたい」という欲求データカードダスはそれらの欲求を叶えることを女児とその親御さんに対する売りにしている。

 

アイカツスターズの物語構造は、年上のお姉さんに憧れた女の子が自らもそうなりたいと……アイドルになりたいと願い、そうなろうと努力する物語。

主人公は四ツ星学園に入学し寮生活という親元から離れた環境で、トップアイドルという狭き門を目指す。中学生としての学園生活、アイドルとしてのスポ根的特訓、憧れの先輩への一途な気持ち、ときにぶつかりあう仲間たちとの切磋琢磨。それらが「アイカツ」という言葉が指し示す意味。

 

なりたい私になりたい」という無色透明な幼い願いを、主人公を軸に真摯に描いていく物語。それこそが『アイカツスターズ!』という作品なのだ。

 

この販促から物語への落とし込み方の妙が、アイカツスターズ(無印アイカツを含む)という作品を単なる販促アニメに留まらない大人の視聴にも耐えうる作品に昇華させている(むしろ私としては深夜アニメの美少女モノより女児アニメのほうがよっぽど女の子を描く作品として面白く感じているくらいだ)。

完結した無印アイカツにおいてはこの「憧れ」というワードを「繋がっていくライン」として深く描いていて……今回はアイカツスターズについて語るので、この話は遠慮しておくのだが、機会があれば是非無印アイカツ!も視聴してほしい。

 

幼馴染の話から随分離れてしまったが、次項からこの「憧れ」を基本骨子としたアイカツの物語にどう幼馴染という概念が組み込まれているのかを具体的に話していきたい。

 

 

幼馴染のテンプレートとしての七倉小春

 

フィクションにおける幼馴染という存在が原義を超えたフィクションならではの属性を付与されているのは前述の通りだ。

主人公の存在を古くから知っている立場を持つ幼馴染という属性のキャラクターは劇中において他キャラクターと比較した際に以下のような役割を持たされやすい。

  • 昔からの付き合い故に主人公の内情を理解しており、対話相手などとして主人公のキャラクターを引き出す役割
  • 物語の開始時点において、数多くの登場人物の中で誰よりも主人公の傍に立つ役割
  • 主人公との距離の近さから、主人公を先導及び補佐する役割

これらの幼馴染としてのテンプレートが出力されている作品は中高生向けや大人向けのものに留まらない。今の時代においてこの物語構造の中に存在する幼馴染像というものは子供向け作品においても見受けられる。

 

アイカツスターズに登場する七倉小春もまたテンプレートとしての幼馴染を付与されたキャラクターだ。

女の子がアイドルに憧れてそれを目指す物語において、主人公虹野ゆめの幼馴染である七倉小春はその夢のきっかけを与える人物である。

七倉小春は幼い頃からアイドルが好きで、虹野ゆめと共にダンスの振付を真似して遊んだりしていた。虹野ゆめはそんな七倉小春の影響によってアイドルを志すようになったのだ。

主人公の生きる方向性を決定づけた人物として七倉小春という幼馴染は存在しており、四ツ星学園に入学した後も小春はゆめと共に行動し、アイカツに励んでいく。

物語開始時点において誰よりも主人公の傍に立ち、主人公の「アイドルになりたい」という願望を引き出させながら、アイカツを励むにおいて主人公と共にある……これは前述したフィクションとしての幼馴染の特徴にピッタリ当てはまる。

 

この構造は前作である無印アイカツ!にも見て取れる。弁当屋を営む母の後継が将来の夢だった主人公の星宮いちごは、幼馴染の霧矢あおいに誘われたアイドルのライブにおいて衝撃を受け、その後あおいと共にアイドル養成学校「スターライト学園」を目指すことになる。

物語構造としてアイカツスターズにおけるゆめと小春の関係は、前作無印アイカツにおけるいちごとあおいの関係をなぞったものとなっているのだ。

 

この通り七倉小春という主人公の幼馴染としてのキャラクターを付与された登場人物は、多くを前作や幼馴染としてのテンプレートを継承している。

しかしそんな彼女の物語は劇中において思わぬ方向へと進んでいく。

 

 

敗北する幼馴染

 

ことラブコメにおいて幼馴染はよく負けフラグと言われることが多い。

実際にその傾向が強いのか統計があるわけではないが、思い浮かべてみるとたしかに幼馴染であるが故に敗北するという物語の展開はよくあることである気もする。

  • 一途に尽くしてきた幼馴染よりも、ある日突然空から落ちてきた電波系ヒロインに惹かれてしまう主人公
  • ずっと傍にいてくれて涙を流したいときは肩を貸してくれた幼馴染よりも、そこら辺から出現したキザでぶっきらぼうで意地悪で気まぐれな男に惹かれてしまう主人公

言われてみれば、こういったことはよくあることだ。そしてこの不利を幼馴染が覆すことは少なく、大体の場合において幼馴染が恋い焦がれる主人公は別の運命の出会いを果たした相手と添い遂げてしまう。

 

アイカツスターズ!は恋愛をメインテーマに扱った作品ではなく、七倉小春が虹野ゆめに恋い焦がれた結果どうなるのか……!といった物語が展開されるわけではない。

しかしこの敗北する幼馴染という構図は恋愛をメインテーマにせずとも普遍的に存在するものだったりする。

 

例えてみればそれは同じ女児向けアニメでも存在する。

 

最初の例は『カードキャプターさくら』だ。

主人公木之本さくらの幼馴染であり親友である大道寺知世はさくらに密かに想いを寄せていた。

しかし彼女は「わたしには大好きな人が幸せでいてくださることがいちばんの幸せなのです」とさくらに気持ちを自らの想いをはっきりと伝えることはなく、さくらの別の恋を後押しすることになる。

知世のさくらへの想いは深く、ふたりが直接結ばれなかったからといって単純に彼女を負け組扱いするのは間違っているが、それでもこれは幼馴染の想いが直接は主人公に届かなかった一例だろう。

 

そしてもう一例は『ドキドキ!プリキュア』だ。

主人公相田マナは博愛主義で困っている人を放ってはおけないお人好し。そんな彼女の幼馴染である菱川六花は、マナに呆れつつも何だかんだ彼女のことを助けてしまう。

印象深いのは六花の「この幸せの王子! 広場に立ってる王子の銅像には困ってる人たちに金箔を配るツバメが必要なのよ。私はあなたのツバメにはなれない?」という台詞だろう。六花はマナを支えるためなら命をなげうっても惜しくないという想いでマナに尽くしているのだ。

しかし彼女の献身は必ずしも報われるわけではない。

マナは困っている人を放っておけずそして同時にたくさんの人々から尊敬と愛を向けられるまさしく王子様のような存在だった。六花はマナが転校生と仲良くなる姿に嫉妬したり、マナを独り占めしようとする相手に対して怒りを顕わにすることもあった。

しかし物語の終盤に彼女が発したこの台詞こそが彼女が最後に下した決断だと言えるだろう。

「好きな誰かを独り占めするよりも、好きな人が好きな人を自分も好きになって、そうやって人の輪が広がっていくほうが、なんかいいじゃない?」

六花はマナへの強い想いを持ちつつも、最後には他の誰かが自身と同じようにマナに愛を向けることを是とした。もちろんそれは決して間違った決断ではなく、人の輪が愛が世界に広がっていくことを考えればとても正しいことだった。

しかしこの決断において少なくとも六花はマナの一番でありたいという願望を捨てた。少なくとも六花にはマナが仲良くなる友人に嫉妬する気持ちは存在していた。彼女はそれを断念するという決断を下したのだ。

 

必ずしも恋愛に限定した話ではなくとも、例に挙げただけで女児向けアニメにおいて幼馴染がある種の敗北・諦観を示すことがあるのだ。

特にこの二作品は私がアイカツスターズも含め女児向けアニメにおける幼馴染という概念に強い興味を示すようになったきっかけでもある。もし興味が湧いた方がいたら是非視聴してみてほしい。

 

どうして幼馴染は敗北するのか? この敗北する幼馴染メソッドに私は自分なりの理由付けを用意した。

 

それは主人公の成長ベクトルとの逆行だ。

 

若者向けの作品において、青春モノにおいて、主人公は常に前を向いていなければいけない。漫画やアニメなどにおいて若い視聴者の好奇心を満足させるために、フィクションの主人公はしょっちゅう日常を飛び出して非日常に向かっていく。

新しい部活に入部したり、異世界に転生したりとシチュエーション自体は様々でも、共通点として「日常から非日常へ」「既知から未知へ」「懐古でなく刷新を」といったものが挙げられる。

それは幼馴染というキャラクターが持つ性質と非常に相性が悪いものだ。幼馴染は物語の中において「過ごしてきた過去の象徴」であり「新しいものに対比される古いもの」である。

たしかに新しい部活に挑戦するか迷う主人公の背中を押すのは幼馴染だろう。そして異世界に飛ばされた主人公の心の寄る辺も幼馴染だろう。

しかし物語序盤において強い存在感を放っていた幼馴染は主人公の成長にじき追いついていけなくなる。非日常へ向かうということは新しいことを知ることであり、その中で主人公は常に新しい未知のものに触れ、そして成長していく。主人公という存在は常に前に進まなければいけない業を背負っているのだ。

主人公が新しい部活で新しい仲間と出会い絆を深めていく中で、幼馴染の存在は少しずつ主人公の中で小さくなっていくだろう。異世界に転生した主人公はじきに元いた世界の幼馴染よりも新しい世界に住む人々を愛するようになりそれらのために戦うようになるだろう。一途に尽くしてくれる幼馴染よりも新しい冒険へと自らを誘ってくれる空から落ちてきたヒロイン。優しく尽くしてくれる幼馴染よりもどこかキケンな香りのするぶっきらぼうな男。

前に進み続ける主人公のスピードにいつしか幼馴染はついていけなくなり、物語の本筋から脱落することになる。

 

そしてアイカツという物語も主人公の成長が大きくクローズアップされている作品だ。

何しろアイカツとは本質的に「憧れ」の物語だ。「憧れのあの人みたいになりたい」という想いを胸に主人公は日々特訓に励み、自らを成長させようと努力する。この衝動は無垢であるが故に誰にも邪魔はできない。アイカツの主人公は女の子の憧れを背負った存在なのだ。時に迷うことはあっても絶対に挫けたりはしない。

同じアイドルをテーマにして変身願望やおしゃれ願望を売り込む女児向けアニメとしてプリパラが存在するが、あちらが「必ずしも成長しなくていい。変わらなくたっていい」と多様性や伸びやかさを謳うのに対して、アイカツはストイックに成長というテーマを扱う。

何故ならアイカツの物語は「成長したい」と願うところから始まるからだ。変身願望やおしゃれ願望を物語に落とし込むとき、アイカツは「実際に変化したいと望むのなら、そこには自己の変質やそれに伴う苦悩などが発生し得るだろう」というある意味で残酷な前提を付与している。故にアイカツの主人公は「成長したい」と願う人物であり、常に向上心を持つ。そしてその向上心が主人公を困難にぶつからせ、同時にそれを乗り越える力を与える。

そんな成長し続けようとするアイカツの主人公に幼馴染が敗北するメソッドを組み合わせてみると相性は……最悪だ。

 

故にアイカツの物語は幼馴染との別離と共にあった。

 

 

アイカツにおける幼馴染別離

 

幼馴染が敗北する……という表現は少々間違っているかもしれない。アイカツは恋愛をメインテーマにした作品ではないし、ステージを通じてアイドル同士が対決したりする作品ではあってもそれは登場人物間の対立とは別の次元で行われる。

なのでアイカツという物語構造において幼馴染という概念が主人公の成長と噛み合わずに敗北するというシチュエーションは幼馴染との別離という形で表現されてきた。

無印アイカツにおいていちごは幼馴染の親友あおいと共にスターライト学園に入学する。そのときの印象的なあおいの台詞がこちらだ。

「どんなことがあっても友達だよ、いちご」

いやもうこんなの100%友達でいられないじゃん……と思うかもしれないが、実際の展開においてはふたりが仲違いすることはなく、代わりに50話においていちごはアメリカへと旅立ち、いちごとあおいは離れ離れとなってしまう。そのときのシーンがまた感動的なので無印アイカツを観ていない方は是非観てくださいね。

後にいちごは(現実時間で1週間後の51話で)帰国し、あおいと再開する。ふたりは一度は離れ離れになるが、その時間がかえってふたりの絆をきらめきを強くしたことがわかるのが97話の描写となる。

このようにアイカツの主人公は常に成長を続けていき、その中では常に一緒だった幼馴染と距離を隔てなければいけないこともでてくる。

この無印アイカツにおけるシチュエーションを発展継承したのがアイカツスターズにおけるゆめと小春の関係だ。

 

七倉小春は幼い頃からアイドルが好きで、それが虹野ゆめのアイドルへの憧れに繋がったことは前述の通りだ。

しかし第1話での描写においてはそれは描かれない。この事実はもう少し後になって描写される。代わりに第1話で描かれたのは、小春の背中を押すゆめのシーンだ。

放課後の教室だろうか。黒板に書かれた「将来の夢」というテーマ。机上の作文用紙を前に悩む小春。そんな小春にゆめは自らの作文用紙を彼女に掲げ見せる。

 

「なろうよ、一緒に……S4に!」

 

この言葉はゆめが小春を自らの夢に勧誘したように見えるが、事前の「小春ちゃん、いつも言ってたでしょ?」の台詞から彼女は小春のアイドルへの想いを察した上でこの言葉を口にしていることがわかる。

第1話において小春をアイドルへの道へと進ませたのはゆめだったのだ。

ゆめは小春に影響を受け、小春はゆめに影響を受け、互いにアイドルを……S4を目指す。

 

ちなみにこの構図は無印アイカツと対になっていると言える。無印の場合は、第1話にて幼馴染に誘われた主人公がアイドルを志し、後の第40話にて幼馴染がアイドルを志したきっかけが主人公であったことが明かされる。一方でアイカツスターズにおいては、第1話にて幼馴染が主人公に背中を押されアイドルを志し、後に主人公がアイドルを志したきっかけが幼馴染であったことが明かされる。

ゲームからアニメに落とし込まれるアイカツスターズの物語の根底「なりたい私になりたい……アイドルになりたい」という願いを主人公のゆめが抱くにおいて、それは幼馴染の小春との相互作用において成されたものだった。

アイカツの物語が始まるその根底には常に幼馴染との絆がある。

しかしだからこそ幼馴染のふたりはいつまでも一緒にはいられない。

 

四ツ星学園に入学したゆめと小春は新入生として四つの組のいずれかに所属することになる。

  • 歌を中心に活動する花の歌組
  • お芝居を中心に活動する鳥の劇組
  • ダンスを中心に活動する風の舞組
  • モデルを中心に活動する月の美組。

そして4つの各組のトップに立つ人物がS4と呼ばれ、生徒の尊敬やファンからの応援を一身に受けることになるのだ。

この組制度が花鳥風月をモチーフとしているのは言うまでもないが、いわゆる宝塚などにおける組を意識しているのも何となく察せられる。

ゆめは花の歌組に所属し、歌組のトップであるS4白鳥ひめに憧れながらアイカツをすることになる。一方で小春は月の美組に所属し、美組のトップであるS4香澄夜空に憧れながらアイカツをすることになる。

憧れのお姉さんとしての立場を持つS4はアイドルとしての華々しさはもちろん、木々に囲まれたテラスでお茶会をしたりと優雅さも見せる。そんな憧れのお姉さんの背中を追いながら学園生活を送る主人公たちの姿はどこか「マリア様がみてる」に似たものを感じられる。

 

ここで注目したいのは学園に入学した時点で既にゆめと小春は別々の道を歩き始めているということだ。

たしかに学年は一緒で、さらに寮の部屋まで共有しているので、ふたりは共にアイカツに励むこともある。しかし各組においてS4が一人ずつ選抜されるというシステム上、ふたりのアイカツにおける道筋は「S4になる」という一点以外では本質的な意味では交わらない。

ゆめが歌組でS4を目指すにおいて重要になるのは同じ新入生であり歌組でS4を目指すライバルの桜庭ローラの存在だ。小春は幼馴染で親友で共にアイカツをする仲間ではあっても、S4を目指す過程において小春の存在はゆめの物語に介入し得ない。

 

そしてふたりの間に致命的な分岐が発生するのは、第27話「小さなドレスの物語」からだろう。

憧れのひめ先輩に

 

「ゆめちゃんはどんなS4になりたいの?」

 

と問われたゆめ。彼女は思うがままにこう答える。

 

「私はひめ先輩みたいなS4になりたいです」

 

ゆめはひめのステージを観てアイドルになることを決意した。そんな彼女がS4を目指すのなら、それはもちろんひめのようなアイドルになりたいだろう。その思考はひどく純粋で、ひとつの歪みもありはしない。

しかしその回答にひめは満足しなかった。後輩であるゆめの成長を見守ってきたひめはその言葉を口にするゆめがまだ学園のトップスターであるS4の器になるにはまだ未熟であることを察する。

 

「私はいまだかつてあのような目標を聞いたことがありません」

 

それはゆめやひめと同じ歌組に所属する白銀リリィの台詞。

 

アイカツは成長というものに対してストイックに取り組む。そしてそれは時に「憧れ」という主人公が成長を志したきっかけにも鋭く切り込んでいく。

憧れているだけでは前に進めない。ただの真似事では本物にはなれない。真にS4を目指すのなら、誰でもないオリジナルのスターを目指さなければいけない。

これは無印アイカツでも語られたテーマであり、アイカツが繰り返し語るロジックだ。

アイカツは「憧れ」を否定しない。しかし憧れだけではなりたい自分にはなれないと言い放つ。無邪気にドレスの着せ替えを遊ぶ子供たちに一見残酷な現実を突きつける。この重い話を物語のふわふわとした雰囲気の中でさらりと語ってしまうのもアイカツの巧妙な点だろうか。

 

自らのなりたいS4の姿に不安を感じたゆめはルームメイトの小春にどんなS4になりたいかを相談する。

 

「私は夜空先輩みたいなS4になりたい……と思ってたんだけど、今は自分らしさを見つけたい。そう思ってるんだ」

 

ここがふたりの今後の命運を示唆する重要なシーンだろう。今まで小春はずっとゆめの隣にいた。そしてふたりでアイカツに取り組んできた。小春は14話の時点では七夕の短冊に「」と書くくらいに美組S4の夜空に入れ込んでいた。しかしそれでは目指すS4になれないと薄々感づいていたのだ。

ゆめと小春の思考にズレが生じた瞬間だ。

これまでゆめと小春は一緒にS4に憧れ、一緒にS4を目指していた。けれどただ憧れるだけではいけないと気づいてしまった。憧れそのものは否定するべきではないけれど、ただ憧れるだけではS4にはなれない。

 

幼馴染という関係性は幼い頃から一緒であるが故に互いの思考の深いところまでを共有している。その繋がりは深く、他人が立ち入れないくらいの密度がある。

しかしそれは内向きの世界だ。幼い頃より培われた絆は、幼い頃からであるが故に、ふたりきりの閉じた世界で完結してしまうことがある。

ゆめと小春は幼いが故の「憧れ」という夢に酔いしれていて、しかし「S4になりたい。成長したい」と願い四ツ星学園に入学したことで、ふたりきりで完結しない外の世界を知り、そしてその中で自らの価値観の外にあるルールを知ったのだ。

 

この物語構造は同じ女児向けアニメだと先程紹介したドキドキ!プリキュアでも使われている。

幼馴染の六花はマナとふたりきりの世界にいて(正確には幼馴染はふたりきりでなく三人なのだが)、しかしプリキュアという変身願望を叶え成長する内に外の世界を知り、たくさんの人々との交流が生まれる中でときには嫉妬をし、そして最終的には「好きな人を独り占めするより、好きな人が好きな人を自分も好きになる」という結論を下したのだ。

 

成長する物語において、過去は愛でられながらもいつか卒業しなければならないものとして扱われる。

ゆめと小春の幼馴染同士の絆もそうであり、それ自体は尊いものでも、成長し続けようとするなら、ときにはその関係性を思い出の中に置き去りにしなければならないことがある。

 

そしてふたりは第30話「七色のキャンディ」においてまさしく離れ離れになってしまう。

小春が両親の仕事の都合によって四ツ星学園を去り、イタリアへと旅立つことになる。

そのときの小春がゆめに宛てた手紙の内容がこちらだ。

 

「ゆめちゃん。もうすぐ出発の時間です。最後に2人で話せなかったから、お手紙を書くね。今までありがとう。ずっとずっと、楽しかったね。アイドルにあこがれて、S4ファンになって…2人で四ツ星学園に入れたなんて、今も信じられない! 毎日がキラキラしてて、ほんとに夢みたいだったよ。私がイタリアに行こうって思えたのはゆめちゃんのお陰なんだ。ゆめちゃんの凄いステージを見るたび、私ももっと成長したいって心から思った。そのためには今のままじゃダメだって気がするの。私たちはまだ未来の途中。新しい場所で、新しい自分を探してきます。私は新しいアイカツのスタートラインです」

 

小春は今のままではS4になることができないと何となく感じていた。両親の仕事の都合というのが最大の理由であっても、小春は新しい環境で自らを切磋琢磨することは自らの夢にとって意味のあることだと感じていたのだ。

ゆめは小春が旅立つことに衝撃を受けながらも彼女を笑顔で見送ろうと決意する。しかしゆめは自らの至らなさ故に小春を見送ることができないまま、小春はイタリアへと出発してしまう。

その至らなさとは自らの未熟故のもの。アイドルとしてのステージ上のミス。小春が自らの足りないものを模索しながら海外に飛び立ったとき、ゆめもまた自らに足りないものがあることに気づく。

 

「私もここが新しいスタートライン。ゆめの夢は、S4になること」

 

この台詞はゆめが第1話と同じ言葉で改めて自らの夢を語るもの。しかしその覚悟は第1話のときとは違う。

いつまでも憧れているだけではいられない。成長するということは別れを経験するということ。ゆめは自らの力不足を悔いながら、二度と後悔しないように、再び自らの道を進むことを決意する。

 

 

七倉小春というキャラクターが存在した意味

 

この物語構造は無印アイカツが50話において描写した主人公いちごと幼馴染あおいの別離の流れを継承したものだ。

無印の場合は旅立つのが主人公であり幼馴染がそれを見送る構図であったが、そういった細かい点を除いたとき、無印とスターズの間で決定的に異なるのは2点。

  • 幼馴染小春の退場は主人公ゆめの成長のトリガーとなっている点
  • 現実時間においていちごとあおいが離れ離れになっていたのは1週間(劇中時間では1年経過している)だが、小春は退場してから現実時間において半年近く物語に登場しなくなる点

無印の場合、まさか主人公不在のまま物語を進行させるわけにもいかず、主人公はすぐに帰還する。何しろアイカツのアニメはゲームの販促をしなければいけないのだ。お話の都合があっても主人公がいなければ販促に支障が出てしまう。

よって帰ってきたいちごは過去より成長した姿を仲間たちに見せるがそれは視聴者の見えない空白の時間の中で起きたことだ。例えるならさながらドラゴンボール精神と時の部屋だろうか。視聴者には1週間の時間の中で、いちごと仲間たちは1年間の時間を過ごす形になっていた。

だがアイカツスターズにおいてゆめは半年近く小春のいない時間を過ごすことになる。小春は30話の退場後まさしく物語の中から消失する。ゆめはルームメイトの小春がいなくなった寮の部屋で寝起きをして日々を過ごすのだ。物語の始まりとなった憧れを共有した小春がいなくなったことにゆめは傷つき、しかし他の仲間たちの支えや自らの決意によって、再び立ち上がりS4を目指す。

アイカツスターズの場合、幼馴染との別れは主人公の成長のトリガーなのだ。

 

しかしいちごと違ってどうして小春は半年もの間、販促に囚われることなく物語から退場することができたのか。

答えはそもそもとして小春は販促に含まれていなかったからだ。

面白いことに小春はエンディングクレジットで三番目に登場するキャラクターでありながら、実は商品展開が全くと言っていいほどされていなかったのだ。

アイカツのアニメはゲームの販促をするためのもの。それによって物語の展開が縛られることは販促アニメではよくあることだろう。

アイカツの場合は登場人物たちはゲームに登場するドレスを身に纏ってステージを披露する必要がある。そのために1話につき1回は3DCGによってゲームを再現したステージを行い、それによってゲームの売上を伸ばそうとする。ゲームが更新されて新しいドレスが登場する度に登場人物はステージに立たなければいけない。

無印いちごの場合はこの制限によって1週間で帰国を果たすことになった。

しかし小春はこういった販促に一切関わらないキャラクターとして用意されていた。なんとドレスを身に纏ってステージに立つことがなかったのだ。物語の中において小春がステージに立つ展開はうまく避けられ、回想や時間外の出来事で済まされたり、大事なステージに何らかの都合で出場できなかったりするなどした。

小春はいわば販促のことだけを考えるなら必要ないキャラクターだ。しかしそんな彼女はエンディングクレジットで3番目に載り続けた。彼女が販促の都合を超えてその場に居続けたのは何のためだったのだろうか?

答えは30話が示した通りだろう。七倉小春は虹野ゆめという主人公の成長物語に説得力を与えるための存在として必要不可欠だったのだ。

 

物語序盤から七倉小春のステージや販促がないことを疑問に思った視聴者も多かった。販促がないのは七倉小春が退場するからだという予想も当初から存在した。その期待に応えた(?)形で七倉小春は退場したわけだが、人によっては彼女の物語上での扱いや販促されない姿を不遇と言う人もいるかもしれない。

しかし考えてみれば、物語途中で退場するなど販促に関わるキャラクターでは不可能だ。小春は他のキャラクターにはできない唯一無二の仕事をやってのけた。販促という都合にどうしても縛られる女児向けアニメにおいて、小春はその呪縛から解き放たれ物語中において真の意味で自由に立ち回れたキャラクターと言うことができる。

このような幼馴染の別離を女児向けアニメでやることは本来不可能のはずだった。

 

こういった成長に伴う幼馴染の間に生じる別れというものはドキドキ!プリキュアにおいても扱われたテーマであり、劇中において幼馴染の六花は主人公といつか離れ離れになる未来を予測しながらもそれを前向きに受け入れている。

 

離れ離れになることを意識したり、離れ離れになって終わりとなったり、離れ離れになっていた幼馴染が再会して始まったりする物語は多いだろう。

しかし実際に幼馴染が離れ離れになった後の物語を、しかも販促に縛られる女児向けアニメでやったことは驚くべきことではないだろうか。

 

そしてアイカツスターズにおける幼馴染の関係性は続く2年目において更なる展開を迎えることになる。

 

 

別離の後に続く幼馴染の関係性

 

 アイカツスターズ!は4クール続いた第1シーズンに続いて、第2シーズン「星のツバサ編」が始まる。

星のツバサシリーズは、ゆめが努力の果てに憧れのひめ先輩から歌組S4の座を引き継いだ後の物語だ。S4になるという夢を叶えたゆめ。しかしそんな彼女の元に海外から学園客船ヴィーナスアークがやって来る。ゆめを待っているのは海外からやって来る新たなアイドルと新たなアイカツ。四ツ星学園のS4になってもトップアイドルへの道はまだ遠い。ゆめは新しいアイカツへと挑戦していく。

……つまりは端的に表せば、少年漫画における「強い敵を倒したらさらに強い敵が現れた」といった展開だ。

 

小春がいなくなった痛みを乗り越えてS4となったゆめ。しかしそんな彼女の元に何と小春が帰ってくる。小春はイタリアにてヴィーナスアークにスカウトされ、ヴィーナスアークに所属するアイドルの一員として世界を巡っていたのだ。思わぬ小春との再会に驚きと喜びを隠せないゆめ。

そして小春がついに四ツ星学園の生徒として復帰した後の物語が72話となる。

 

(72話は2017年9月18日(月)18:00まで無料配信中。まだ観ていない方で興味の湧いた方はラストシーンだけでも観てほしい)

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S4となったゆめは自らのドレスブランド「ベリーパルフェ」を立ち上げ、そこで自らに相応しいドレスを制作する。

星のツバサシリーズにおいて重要になるのはアイドルのステージを作り出すアイカツシステムに認められたアイドルだけが身に纏うことができるドレスと一体化した「星のツバサ」。

しかしゆめは自らのデザインの才能が足りないためか、努力に結果がついて来ず、星のツバサを手に入れることができない。

一方で四ツ星学園に帰還した小春はイタリアやヴィーナスアークにてデザインの勉強を続けていた。

そんな小春はゆめにベリーパルフェのデザインの手伝いをさせてほしいと申し出ようとする。

 

72話が素晴らしいのは、ゆめと小春が再会した後の互いの距離感を描いたことだ。

ずっと離れ離れだったふたりはついに再会して、しかし時間の流れはふたりに予想外の断絶を作り出していた。

 

「ベリーパルフェのデザインをお手伝いしたい」

 

小春がゆめに伝えたいのはたったそれだけの短い一言。しかし小春はその一言に躊躇してしまう。

ふたりカフェテラスでお茶をしているときに、その言葉を口にしようとして躊躇い、カップの縁を指でさする小春。

放送当時私はその仕草に思わず「恋する乙女かッ」とツッコミたくなってしまったが、その後物語は思わぬ方向に続いていく。

 

小春が想いを告げようとする度に何だかんだ横槍が入ってしまい、小春は想いを伝えることができない。そんな中で小春は四ツ星学園でS4となったゆめの新しい一面を垣間見ることになる。

 

ゆめと小春はかつて一緒にS4を目指していた。しかし小春はその道を半ばで諦めることとなり、ゆめの元を去った。小春も海外でデザインの勉強を続けていたが、S4にはなれなかった。

一方でゆめは努力の果てにS4の座に就くことができた。かつてふたりが憧れたS4になったゆめはもう誰かに憧れるだけの無垢な少女ではない。

 

  • ゆめは下級生の憧れであり、先輩としての風格を身につけている
  • ゆめはS4の座を譲り受けた先輩に対して、自らがきちんとその職務を果たしていると証明しようとする
  • 過去には困難に挫けそうになったこともあったゆめは、それらを乗り越えてどんなときも前向きに努力する強さを身につけている

 

それはどれも小春が知らないゆめのS4としての新たな姿だ。

たった半年離れ離れになっていただけ。けれどゆめたちの年頃においての半年はとても長く、そしてその半年においてゆめは大いに成長していた。そして小春はそのゆめの成長した姿に疎外感を覚えてしまう。

小春は自らがゆめのベリーパルフェを手伝う資格があるのかどうか尻込みしてしまうのだった。

 

幼馴染が実際に離れ離れになる物語を描いたアイカツスターズは、ここにおいて離れ離れになった幼馴染が再会しその距離に戸惑う物語を描いた。

これがどちらか片方であれば様々なフィクションで描かれているだろう。しかしひとつの物語において長いスパンを以て幼馴染の別離と再会を描いた作品はそうそうないのではないだろうか。

 

かつては一緒にS4を目指していたゆめと小春。しかしゆめはS4となり、自らのブランドを作って、自らの足で自らのアイカツを追求している。そんなゆめのブランドに自らが介入する余地はあるのだろうか。

そんな小春の不安が現れるのが以下のシーンだ。

 

留学先で新たなアイカツに励んでいた先代S4が学園に帰還するにおいて、今代S4のゆめは先輩たちに自らの成長した姿を見せようとサプライズパーティを企画する。しかしS4として多忙を極めるゆめはなかなかパーティの準備に時間を割くことができない。

そんな中、先輩たちは四ツ星学園に到着し、ゆめがサプライズパーティを企画していることを知ってしまう。しかし仕事中のゆめは準備をすることができない。事情を知った先輩たちは自らの手でパーティの準備を進めてしまおうとする……。

 

「待って下さい。ゆめちゃんは何としてでも自分でやり遂げたいと言っていました。自分の成長を皆さんに見てもらうのをとても楽しみにしていたんです。なのに勝手に手伝ったらがっかりするんじゃ……」

 

ゆめの心情を理解している幼馴染が故に、先輩たちの気配りに待ったをかける小春。

この言葉は小春のゆめに対する疎外感と同じものだ。

ブランドを手伝いたいけれども、それはもしかしたらゆめのまっすぐなアイカツにとって余計なお世話になってしまうのではないだろうか。

そんな不安と重なる形で小春の不安は吐き出される。

 

「ゆめちゃんはそんな子じゃないわ」

 

しかし小春の不安はゆめが憧れた先代S4の白鳥ひめによって否定される。

 

「……なんてことあなたが一番良く知ってるんじゃないかしら。自分ひとりが輝くためじゃない。周りにいる大勢の人たちに笑顔を照らし出すための輝き。それを彼女は持っている。だからこそS4を任された」

 

ゆめは自分ひとりの力で全てをやり遂げてしまおうだなんて考えてはいない。ゆめのこれまでのアイカツは仲間たちとの絆によって積み重ねられてきた。それをゆめ本人は理解している。だからこそ先輩たちが手伝ってもそこにゆめは落胆を感じるようなことは決してない。

 

「ゆめちゃんはあなたが四ツ星学園を離れる前と少しも変わってないわ」

 

その言葉が小春にとってどれだけの救いになっただろうか。

変わってしまったお互いの距離に戸惑っていた小春はその言葉によって虹野ゆめという自らの幼馴染の在り方を再確認する。

 

そして72話のラストシーン。星空の下でふたりきりになったゆめと小春。

小春は静かにゆめに対して自らの心情を吐露する。

 

「素敵になったよ。離れていた間にとっても眩しくなった。この手を伸ばしても、もう届かない……そう思うくらい。私、怖かった。ゆめちゃんと再会してから、とっても頑張ってるゆめちゃんを見てから。あの日、四ツ星学園を離れたのは私の方だけど、気がついたらゆめちゃんのほうが、私から離れていっちゃったんじゃないかって」

 

そんな小春の不安に応えるように、ゆめはそっと小春の手を握りしめる。そして小春もゆめの手を握り返し「……あったかい」とそこにあるゆめの確かな温もりを実感する。ゆめが離れずにそこにいてくれるという事実を噛みしめる。

本来なら「そんなことないよ!私はいつだって小春ちゃんの傍にいるよ!」と台詞で応えそうなシーンにおいて、敢えて手を握るという動作において全てを説明するという演出には舌を巻かざるを得ない。

 

「教えて。あのカフェで何を言おうとしてたの?」

 

ここで曖昧になっていた小春の告白を改めて聞き直すところにゆめの成長が見て取れるだろう。

30話前の小春が学園を去るくだりにおいて、小春は72話と同じようになかなかそのことを言い出せずにいた。あのときは何だかんだ機会が見つからないままに時間だけが過ぎてしまったが、今は違う。成長したゆめは小春が何かを言いたそうにしていることを察し、丁寧にそれを訊き返すのだ。

これは個人的な感想だが、手を握る所作と併せてあまりにゆめがカッコよすぎる。

不安を抱えている相手に対してそっと寄り添いその不安を和らげるように手を握り静かに「言ってみ?」と言いたいことを察して促すことが一体誰にできるだろうか。どんなカップルでもそこまでの甲斐性を持った彼氏はそうそういない。イケメンすぎる。

 

そして続く小春の言葉が72話を、そしてアイカツスターズにおいて綿々と描かれ続けてきた幼馴染の物語を伝説へと昇華する。

 

「あのね。私ね。私……ゆめちゃんが好き」

 

視聴者全員が度肝を抜かれた瞬間だろう。

何しろこれまで72話は小春がゆめに「ブランドの手伝いがしたい」と言いたくてなかなか言えないという物語構成になっていた。視聴者はなかなかそれが言い出せない小春に対して「はやく言っちゃえよ~」とやきもきしながら小春の姿を見守っていたのだ。

それが最後の最後においてひっくり返された。

小春は視聴者の想定を飛び越えた上で「ブランドの手伝いがしたい」を超えたより本質的な回答をしたのだ。

 

「大好き。とっても好き。いっぱい好き。だから……私もこの足で一歩を踏み出して、夢を掴むよ。夢に近づくよ。ベリーパルフェのデザインをお手伝いしたい。一緒に歩きたい、ゆめちゃんのブランドを、星たちの空へと羽ばたかせる道!」

「全部私の言葉だよ!」

 

何故小春は最初に「好き」という言葉を伝えたのだろうか。

小春は優しくて誰からも好かれる人間だ。誰かに「好き?」と問われたら誰にでも「好き」と答えられるような子だ。しかし彼女があの場において自主的に「好き」という言葉を口にしたことには大いに意味がある。

小春は自らがゆめの進む道を共に歩むに相応しい相手なのか悩んでいた。

それはアイカツという物語が……主人公が成長を志すフィクションが、幼馴染という過去に依存した存在と矛盾するというメタを悩んでいるに等しい。

幼馴染は主人公の成長には追いつけない。もしくは成長の中で互いに別々の道を歩む。かつて一緒だったふたりの道は未来へと歩みを進める中で次第に離れていく。

しかしこのジンクスを振り払ったのが小春の「ゆめちゃんが好き」という一言だ。

「好き」に勝る気持ちなどこの世に存在しないのだ。

自らは相手に相応しいのだろうか。相手の邪魔をしてしまうのだろうか。時間の流れの中で成長した幼馴染とはもう一緒の道を歩めないのではないだろうか。

それらの悩みは全て単純な理屈によって吹き飛ばされてしまう。

小春はゆめのことが好きなのだ。だから一緒にいたいと願った。ゆめのブランドを手伝って、ふたりの道を歩みたいと願った。

 

「行こう。一緒に。ずっとどこまでも……思いっきり羽ばたかせよう! ふたりのベリーパルフェのツバサ!」

「小春ちゃんと一緒に!」

「ゆめちゃんと一緒に!」

「ふたりの一番星に辿り着くまで!」

 

幼馴染としてアイドルに憧れるだけの狭い世界の中で生きてきたゆめと小春。彼女たちは世界の広さを知り、一度は離れ離れになった。そしてお互いに別々の時間を過ごし成長していく中で、たくさんの人々がいる広い世界の中でお互いの存在を自身の中で再定義した。離れ離れになったからこそお互いの存在の大切さを知った。そして再会した後に、お互いの心の距離に戸惑いながらも、一度離れ離れになったからこそ互いの絆をより強くしたいと願うようになった。

 

72話をかけてここまでロマンチックな幼馴染の成長と別離と再会と告白を描いた作品が他にあるだろうか?

(探せばあるだろうし、人によってはより良いと感じる作品はいくらでもあるだろうけれど)

 

アイカツスターズはフィクション上の幼馴染という属性が持つ特徴をとことんまで利用しきった。

ゆめと小春は幼馴染だからこそ同じ憧れと夢を抱いた。幼馴染だからこそ成長の最中で互いに別々の道を歩むことになった。幼馴染だからこそ再会した後に距離感を覚えた。そして幼馴染だからこそこれまで言えなかった……無意識だった「好き」という根源的で本質的な想いを自覚して、それを口にできた。

アイカツスターズは恋愛をメインテーマにした作品ではないが、恋愛が人間と人間の関係として最上位の何よりも尊いものとして描かれる傾向のある昨今において、究極的な人間と人間の絆を描こうとすると正直なところそれは恋愛劇になってしまうのかもしれない。高度に発達した科学は魔法と区別がつかないのだ。

 

いやしかし離れ離れになっていた幼馴染と再会したらその幼馴染は思った以上に成長していて、星空の下ふたりきりのロマンチックな雰囲気のときに「私はあなたに相応しいのだろうか」という悩みを口にしたら相手は何も言わず手を握ってくれて、ただ静かに「言ってみ?」と促されたら、そりゃもう「……好き」以外の言葉は言えないでしょ。

 

 

さいごに

 

アイカツスターズは……無印アイカツを含めたアイカツ全般は、特徴として「打倒すべき悪役が登場しない」というものを持っていると思う。

 

玩具の販促においては得てしてわかりやすい悪役が配置されやすい。特撮はもちろんだが、トレーディングカードゲームを扱った販促アニメではカードの力で世界征服を目論む悪役まで登場する。主人公たちはそれらの悪に立ち向かうことで物語を形作る。

 

しかしアイカツという作品が面白いのは明確な悪人が存在しない点だろう。もちろん越えるべき先輩やライバルはいるものの、彼女らは競い合う中で絆を深める仲間ではあっても、打倒におけるカタルシスを視聴者にもたらす存在ではない。

同じ着せ替え系女児向けアニメではプリティーリズムシリーズなどは比較的明確に悪役を設定しているだろうか。

だがアイカツは物語の中に明確な敵を作らなかった。敵を打倒するカタルシスを物語の軸に据えることをしなかった。

それならばアイカツは何を物語の軸としたのだろうか?

 

それはこれまでに述べたような登場人物同士が結ぶ深い絆だ。

 

いや他の作品がそれらを蔑ろにしているというわけではない。ただアイカツは登場人物同士が絆を作っていく様子を起承転結の流れに置いてしまっているのだ。

これはわりと大胆な作品作りだと私は思っている。

誰かと誰かが喧嘩して仲直りしただとか永遠の絆を誓いあっただなんて本来物語の軸に置くにはあまりに曖昧で不安定な要素だ。悪役を倒して、世界の滅亡を救って、それらを物語の軸としながらそれらの周辺に登場人物たちの絆を描いたほうがずっと上手で綺麗な物語を作ることができる。

 

しかしアイカツは「成長」というテーマに挑むにおいて敢えてそれらを排除した。

 

アイカツの世界は打倒すべき悪人のいない平和な世界だ。アイカツカードで世界征服を目論む女王なんてものは存在しないし、嫉妬に狂って主人公のシューズに画鋲を隠したり水筒に洗剤を入れたりするような子もいない。

だとすれば主人公たちが歩む成長の道のりはイージーモードになるのだろうか?

それは違う。主人公たちは成長しようともがく中で、仲間との別れを経験したり、どんなに努力してもうまくいかないことに悩んだりする。それらは一筋縄では解決しない。

 

例えとしてわかりやすいのは無印アイカツ!の97話だろうか。

 

主人公の大空あかりはどうしてもスペシャルアピール(劇中におけるステージ上でのパフォーマンスの一種)がうまくできずにいた。夏休みの間、帰省せずに必死に練習するも何度やってもうまくいかない。スペシャルアピールはアイカツ世界のアイドルにとって基本中の基本。それを成功させなければアイドルとしてはいつまでも半人前のまま。最悪アイドルに相応しくないと判断されてしまうかもしれない。

あかりはひたすらに苦悩する。しかし悩めど悩めど答えは出ない。

 

これがきっと悪役のいる世界だったら解決は簡単だったろう。あかりのスペシャルアピールがうまくいかないのはあかりを妬んで意地悪をしてくる同級生やあかりの才能を認めない悪い教師がいるからだ。彼ら彼女らをあかりは仲間たちと一緒に成敗し反省させれば、あかりは調子を取り戻してスペシャルアピールを成功させることができる。

しかしアイカツの世界に悪役はいない。あかりがスペシャルアピールを成功させることができないのは、どこまでもあかり本人の力不足のせいだ。あかりは答えのない悩みとひたすらに向き合い続けることになる。

悪役がいれば全ての責任を彼らに押し付けることができた。けれどアイカツの世界においては自身のことは自分自身で受け止めなければいけない。全ては自分のせいだ。それは悪役を倒せばハッピーエンドになる世界より遥かに残酷なものだ。

 

アイカツアイカツスターズも悪役はいないしアイドルたちはライバルといってもいがみ合うことは少なく、互いに切磋琢磨しながら高みを目指す仲間だ。だからこそ責任転嫁をすることはできない。

きらきらな女の子になりたいと無垢に願った女の子は、そう願ったが故にこれまでの自身を過去として成長することを望み、そして成長する過程でそれに伴う全ての痛みをたったひとりで受け止めなければいけない。

 

この記事で語ったゆめと小春の関係もそうだ。ふたりを一度引き裂いたのは悪役ではなくどうしようもない時間の流れだ。そんな倒すべき悪役のいない世界で、ふたりは悩みもがき成長して、そして再び絆を結んだ。そこに悪役はおらず、しかしふたりの絆を中心としてたしかに美しい物語が成立している。

 

この物語構造こそがアイカツという作品が持つ真の魅力であり、私たち視聴者は作品が描く登場人物たちの絆から目を離すことができない。